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アスパラクラブとは?

ベニスのカーニバル
魅力のすべて



(c)goodshoot.com
ベニス・・・
その名を口にするだけで、
ゴンドラに身を委ねる
わが姿へと想いは馳せる。
ベニス・・・
水の都のラグーナ、宮殿、神秘・・・
そして、カーニバル!
ベニス・・・
ドージェと呼びし
ベネチア総督に率いられ、
魔力に満ちたその都市は、
時の流れが止まったか。
ラ・セレニッシマと
呼びならわされる共和国、
そのベネチアは、入りくんだ、
無数の水辺のその魅力・・・。
陸と海とが
たぐいまれなる絆を結ぶ、
その土地は、
東と西が融け合う舞台・・・。
イタリアの祝祭の
魂の真髄をあらわに・・・。
カーニバルの仮面の下には、
ベニス・・・
汝のいかなる魅力が隠されていようか!


(Gautier BATTISTELLA  訳詞・岩崎久美子)


ベニスに行くには
空の便:
ベニス マルコ・ポーロ空港(Marco Polo_Venezia Airport)
Tel : + 0039 041 2606111
http://www.veniceairport.it
ツーリスト・インフォメーション: http://www.enit.it


カーニバルの歴史・・・

ベニスのカーニバル(謝肉祭)は毎年、四旬節の初日にあたる聖灰の水曜日(Ash Wednesday)の前日まで、12日間にわたって開かれる。 今年(2007年)の期間は2月9日(金)〜20日(火)まで。



(c) COLORISE/FEJOZ

 溢れ出るエネルギーではブラジルのリオのカーニバルに後れをとるが、ベニスのカーニバルはエレガントそのもので洗練されている。当時のドージェ、ヴィターレ・ファリエールが1094年に初のカーニバルにお墨付きを与えて以来、ベネチア共和国のこの上なくよき伝統に守られてきたカーニバルは、事実上、何でもありの無礼講だ。祭りの仮面をまとえば、素性はみごとに隠されてしまう。


(c) COLORISE/FEJOZ
 先駆けにまず12月下旬、市内各所のカンポ(campo)といわれる広場で小規模な祭がスタートする。これは四旬節(レントともいい、復活祭前の長い精進の期間。イエスの受難を記念する)が始まる前日の「懺悔(ざんげ)(ざんげ)の火曜日」まで続く。階級を問わずベニスのあらゆる人々が伝統的なタバッロ(ゆったりした大きなマント)かバウータ(短めのフード付きケープ)で装う。三角帽子をかぶり、白い仮面をつけて顔を隠してしまうと、社会的地位や身分を示す手がかりは何もない。あらゆる市民が対等になる。カーニバルの歴史が始まった頃から、ベニスの権力者は市民の悪ふざけや乱行に目をつぶってきた。道化師の衣装に身を包んだ若者たちが、通りかかった人に腐った卵を投げつけ、見目うるわしい女性の犠牲者にはとっておきのバラ香水入りの卵殻を投げる、といった光景が繰り広げられた。





(c) COLORISE/JACASS

 ベニスのカーニバルがもっとも華やいだのは18世紀。祝祭は半年も続くかと思われる爛熟期を謳歌した。新しいドージェの選出、子どもの誕生、サン・マルコの財務監視官(プロクラティエ)の任命などにかこつけ、祝祭・祝賀の機会ごとに仮面をつけるベニス市民も多かった。やがて1797年、ナポレオン率いるフランスに敗れたベニスでは華美な仮面の装束が禁じられ、その結果カーニバルそのものも禁制となった。

200年近くの中断を経て、カーニバルは1970年代後半に復活した。若者たちの卵投げの習慣もよみがえった。祝祭の復活を観光客もベニス市民も心から待ち望んでいたのである。参加者のコスチュームのデザインにも独創性とイマジネーションがあふれている。





よみがえった伝統・・・

 ベニスのカーニバルは、古くから伝わる二つの伝統行事によって幕を開ける。

 その一つ、マリアたちの祭り(The feast of the Maries)は、海賊に奪われた7人のベニスの花嫁にちなんでいる。勇敢な夫や友人が、激戦の末、うら若き女性たちを救出したという。歴史を振り返ると、この祭りはそれぞれの信心会・同業組合や教区を背景にした男女に出会いの機会をもたらした。今日では、7人のマリアを先頭に、往時の衣装を着た行列が市内をパレードする。


(c) COLORISE/JACASS

 行列は2月9日金曜日、サン・ピエトロ島にあるサン・ピエトロ・ディ・カステッロ教会(S.Pietro di Castello)からサン・マルコ広場までガリバルディ通り(Via Garibaldi)・スキアボーニ海岸通り(Riva degli Schiavoni)を通る。

 2001年からカーニバル期間の第1日曜日に新たなイベントが加わった。「天使の飛翔」、またの名を「コロンビーナ(Colombina)の飛翔」という。

 事の始まりは1548年、綱渡りを売り物にするトルコ人軽業師が、サン・マルコ広場の高さ98.5メートルの鐘楼から渡した綱にぶらさがって降りてくるという芸を見せたときにさかのぼる。この一大スペクタクルは毎年恒例となり、やがて軽業師がドージェに敬意を表する公式行事に昇格して、カーニバルの始まりを告げることになった。「トルコ人の飛翔」は後に「コロンビーナの飛翔」に替わり、木製の大きな鳩が鐘楼から滑り降りて、見物客の頭上に花びらや紙ふぶきを降らせた。今日では、天使の装束をつけた少女が、その愛らしさと美しさに見とれた観客の前で、サン・マルコの鐘楼からロープ・スライダーで舞い降りてくる。
(2007年は2月11日日曜正午)
[訳注:コロンビーナはイタリア語で雌の小鳩。比喩的に清純な乙女]


ほかのイベント
 2月9日(金)・10日(土)・11日(日)午後2時。サン・マルコ広場でLA FRITTOLERAというチャリティー・マーケットが開かれ、ベニスのカーニバルにちなんだケーキやペストリーが販売される。

 カーニバルの12日間はショーやコンサート、パレードが多数催される。
(オフィシャルサイト:http://www.carnevale.venezia.it/)(イタリア語・英語・フランス語)


コスチュームと仮面を買う・貸衣装を借りる

価格:張り子のデザイン仮面20ユーロから
バウータ一式(ケープ+帽子+白い仮面)150ユーロから
往時を再現する伝統的衣装は3500ユーロするものまで価格に幅がある
貸衣装は平均的コスチュームで1日70ユーロから。より凝った衣装は 200ユーロくらい。

張り子やオイルクロスで仮面を作る職人をマスケレーリ(maschereri)という。
仮面は文字通りどこでも売っているが、品質にこだわるなら張り子でできたものを求めよう。お勧めは3店。

カマッカーナ Ca’Macana
Dorsoduro 3172, 30 123 Venice
Tel. : + 0039 041.52 03229, Fax : + 0039 041.5203229
http://www.maskvenice.com

アトリエ・ピエトロ・ロンギ Atelier Pietro Longhi
San Polo, 2604/B, Venice
Tel./Fax: + 0039 041.714478
http://www.pietrolonghi.com

トラジ・コミカ Tragi comica
Calle dei Nomboli, San Polo, 2800 Venice
Tel. : + 0039 041. 721102, Fax : + 0039 041.5240702
http://www.tragicomica.it

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見どころ

大運河に沿って
 大運河(カナル・グランデ)は水の都ベニスの大動脈であり、ベニスでもっとも美しい水路である。必ずしも船に乗り込まなくとも市内を見て回れるが、歩くより船に乗った方がたいてい時間はかからない(バポレットVaporettoという水上バスが便利)。なにより水上から眺めれば、立ち並ぶ宮殿や館や教会が揺らめく水面に影を映し、最高のアングルでその美が楽しめる。

◇左岸(西)

パラッツォ・ラビア(Palazzo Labia)
 スペイン出身の富裕な商人一家の名前にちなんでパラッツォ・ラビアという。17世紀後半のこの建物は、堂々たる冠羽をいただく数羽の鷲の紋章で飾られている。大運河から少し脇に入った小運河沿いにあるという立地には、所有者の社会的地位が現れている。大運河沿いの館はベネチア貴族の特権区域であって、ラビア家は生え抜きの貴族ではなかった。
 [訳注:ちなみに「ラビア家は1648年に高額を払ってベネチア貴族の称号を得た新興貴族である。18世紀にべネチアでこうした巨大な邸宅を実現できたのは、もはや外からやってくる新興成金の貴族の家系にかぎられていた」と陣内秀信氏は著書『ヴェネツィア 光と陰の迷宮案内』(NHK出版)で述べている。1996年現在、RAI(イタリア国営放送)の放送局がおかれているとのことである]

カ・ドーロ(黄金の館) Ca’D’oro
 華麗な装飾ゴシックの建物。1995年に修復工事が完成して過去の栄華を今に伝える。かつて金箔で飾られていたファサードが水辺に開き、住居と倉庫の機能を兼ねていたことがわかる。
 館内にフランケッティ美術館が設けられ、11世紀から18世紀の多様な美術品が公開されている。

リアルト橋 Ponte di Rialto
 付近に造幣局があったことから、もとは「貨幣の橋」と呼ばれていた。現在の石造りの橋は1591年に建造されたもの。大運河の両岸を結ぶ主要な橋である。中央から左右シンメトリーに六連アーチが設けられ、アーケードの両側に商店が並んでいる。かつては銀行・金融業者の拠点だった。

パラッツォ・グラッシ Palazzo Grassi
 18世紀の新古典様式の建築。現在はフランス屈指の実業家、フランソワ・ピノー氏の現代美術コレクションを展示している。ベネチア共和国の崩壊前に建造された最後のベネチア様式の館。
 ウェブサイト http://www.palazzograssi.it/ に英語のページもある。


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◇右岸(東)

カ・レッツォーニコ Ca’Rezzonico
 この館については大作家二人の見解がまっぷたつに割れた。アメリカ出身の小説家ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)は壮麗な建築物による神話的世界の表出だと評価したが、イギリスの美術評論家で社会改革家のジョン・ラスキン(1819-1900)はバロック様式を酷評し、装飾用の付け柱を「チーズの形をした柱」になぞらえた。内部は18世紀のベニスを紹介する博物館になっている。

アカデミア美術館 Accademia
 もとはスクオーラ・グランデ・デッラ・カリタ(カリタ同信会館)だったゴシック建築で、18世紀にはファサードと、隣接する教会が付け加えられた。19世紀初頭からは市の美術館となった。アカデミア美術館はベニスでもっとも優れたコレクションを有し、14世紀から18世紀にかけてのベニス派の絵画の変遷を網羅している。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会 Santa Maria della Salute
 堂々たる白い大寺院は遠くからでも目に飛び込んでくる。1630年、ベニスを襲ったペストの終息を祈願したドージェが、願いの成就に際して建立した教会。


本企画は、旅のガイドやホテル・レストランの三つ星評価で有名なフランスのミシュラン社が契約するジャーナリストらが執筆し、同社により朝日新聞社に提供された原稿を翻訳したものです。
訳:岩崎久美子/監修:朝日新聞翻訳センター・照山恵美子



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